日本のインフルエンザワクチンは「スプリットワクチン」:限界と免疫記憶の関係
秋から冬にかけて、日本では毎年インフルエンザワクチンの集団接種が行われます。高齢者や基礎疾患を持つ方は接種を強く推奨されていますが、「毎年打っているのに感染した」という声も少なくありません。なぜ、ワクチンを接種しても感染を完全には防げないのでしょうか?その理由の一つは、日本で主に使われている「スプリットワクチン」という種類のワクチンの性質にあります。
スプリットワクチンとは?
日本で使われているインフルエンザワクチンは、ほぼすべて「不活化スプリットワクチン(split virion vaccine)」です。ウイルスをホルマリンで不活化したうえで、界面活性剤でウイルスの膜を分解し、内部の抗原タンパク質だけを抽出したものです(中野貴司ほか,日本感染症学会誌 2020)。自然感染や生ワクチンのようにウイルスが体内で増殖することはなく、免疫系に対する刺激は弱いのが特徴です。
抗原性の弱さと初感染者への課題
スプリットワクチンは、抗原を部分的に壊しているため免疫原性が低いことが知られています。特にウイルス表面の「ヘマグルチニン(HA)」や「ノイラミニダーゼ(NA)」の立体構造が崩れており、自然感染のように立体構造を認識する抗体を作りにくいのです(Nakaya HI et al., J Clin Invest, 2015)。そのため、初めてインフルエンザに触れる子どもや免疫記憶のない人では、十分な抗体上昇が得られにくいことが報告されています。初回接種では2回接種が推奨されるのも、この免疫原性の弱さを補うためです。
厳密に言えば、スプリットワクチンにも抗原は含まれています。しかし、その抗原はウイルス粒子としての構造を失っており、「自然感染で見える抗原の姿」とは異なるという点が重要です。免疫系は抗原の「形」を認識して抗体を作るため、この形が壊れていると新たな抗体を作る刺激にはなりにくいのです。その結果、スプリットワクチンは「既に感染歴のある人の免疫を思い出させる(ブースター効果)」には有効であるものの、まったく感染したことのない人の免疫を新しく作る(プライミング効果)には不十分であることが指摘されています(Cox RJ et al., Vaccine, 2004)。
健康な大人にはワクチンの必要性は低い?
一度でもインフルエンザに感染したことのある人は、免疫記憶B細胞を保持しています。血中の抗体が検出できなくなっても免疫記憶細胞が抗原の情報を記憶していますので侵入したウイルス抗原と気道粘膜が接触すると 速やかに抗体が出現して感染症の重症化を防いでいます。この記憶細胞は、スプリットワクチンに含まれる部分的な抗原刺激でも再活性化して抗体を作ることができます。したがって、過去にインフルエンザにかかったことのある人や、以前のワクチンで免疫が作られている人では、スプリットワクチンでも血中の抗体価を上昇させることが可能であるため感染や重症化を防ぐ効果が期待できます。(Jefferson T et al., Cochrane Database Syst Rev, 2018)。
しかし、そもそも免疫記憶のある人はワクチンを打たなくても、ウイルスとの接触で速やかに抗体が産生されるため、重症化を抑えることが可能です。大人になれば人生の中で1度はインフルエンザに感染したことのある人がほとんどだと思うので、ほとんどの人は免疫記憶がある状態であることを考慮すると健康な大人にとっては、スプリットワクチンの追加効果は限定的であるという考え方も成り立ちます。
免疫記憶のない人こそワクチンが必要だが…
一方、インフルエンザにかかったことのない人、すなわち免疫記憶のない人こそワクチンによる免疫獲得が必要です。しかし、スプリットワクチンは抗原性が弱いため、初感染者に対して十分な抗体誘導効果が期待できません。この点から考えると、スプリットワクチンは「免疫記憶のない人に必要な新規免疫獲得」という本来の目的に対しては効果が限定的であることが分かります(Wijnans L et al., Vaccine, 2018)。日本感染症学会の指針でも、「不活化ワクチンの目的は感染予防ではなく重症化予防」と明記されています(厚生労働省, 令和5年度インフルエンザワクチンQ&A)。
海外報告との違いに注意
マスコミ報道や専門家コメントでは、しばしば海外のインフルエンザワクチン有効性報告が引用されます。しかし重要な点として、アメリカやヨーロッパで使われているワクチンは、日本のスプリットワクチンとは種類が異なります。海外では全粒子ワクチンやアジュバント添加ワクチンが使われており、抗原性が高く、抗体誘導効果も強いことが知られています(Cox RJ et al., Vaccine, 2004)。そのため、海外の有効性データをそのまま日本に適用することは決してできません。日本のスプリットワクチンは、あくまで免疫記憶のある人の重症化を抑えることを主目的としたワクチンです。
まとめ
- 日本のインフルエンザワクチンはスプリットワクチンで抗原性が弱く、新規抗体の獲得は限定的。
- 免疫記憶のある人には重症化抑制効果は期待できるが、そのような人はワクチンなしでも免疫記憶による重症化抑制効果が期待できる。
- 免疫記憶のない人にこそワクチンが必要だが、スプリットワクチンでは十分な効果が得られない。
- 海外のワクチンとは種類が異なるため、海外の有効性データをそのまま日本に適用することはできない。マスコミや専門家の提唱する最新のエビデンスはあてにならないことに注意が必要。
参考文献
- 中野貴司ほか. 日本感染症学会誌. 2020;94(1):1–12.
- Nakaya HI et al. Systems biology of vaccination for seasonal influenza in humans. J Clin Invest. 2015;125(3):1059–1070.
- Cox RJ, Brokstad KA, Ogra P. Influenza virus: immunity and vaccination strategies. Vaccine. 2004;22(Suppl 1):S1–S4.
- Jefferson T et al. Vaccines for preventing influenza in the elderly. Cochrane Database Syst Rev. 2018;2:CD004876.
- Wijnans L et al. Influenza vaccine effectiveness and immune response in children: A systematic review. Vaccine. 2018;36(6):825–834.
- Arevalo CP et al. A multivalent nucleoside-modified mRNA vaccine against all known influenza virus subtypes. Science. 2022;378(6622):899–904.
- 厚生労働省「令和5年度 インフルエンザワクチンQ&A」

















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