逆流性食道炎にPPIを使い続けて大丈夫?——「リスクが証明されていない=安全」ではない理由
近年、「逆流性食道炎にはプロトンポンプ阻害薬(PPI)が有効」という情報がテレビやインターネットで広まり、多くの方が長期的にPPIを服用しています。確かに、PPIは胸やけや胃もたれを速やかに改善する即効性のある薬です。しかし、「症状が楽になる」ことと「病気が治る」ことは同義ではありません。
さらに、PPIの長期使用による胃がんリスクについては、2025年現在でも議論が続いています。マーケティング的にはピロリ菌未感染者ではPPIの使用は胃癌の発生リスクと関連が見られなかったというエビデンスが良く使われていますが、「リスクが証明されていない=安全」とは言えません。その理由を、胃酸の生理機能とピロリ菌の感染機構から考えてみましょう。
—
胃酸の防御機能とピロリ菌の特殊性
胃の強酸性環境は、食物とともに入ってくる細菌を死滅させる「防御バリア」の役割を果たしています。ほとんどの細菌はこの酸環境で生きることができません。ところがピロリ菌(Helicobacter pylori)は例外です。自身が産生するウレアーゼという酵素によって胃酸を中和し、粘液層の中で生き延びることができます(Kusters et al., Clin Microbiol Rev, 2006)3。この独自の適応メカニズムこそが、ピロリ菌が人類の胃に長く感染し続けてきた理由です。
ここで考えたいのは、PPIが胃酸を強力に抑えることで、この防御機構を弱めてしまう点です。胃酸が減ることで、ピロリ菌が感染・定着しやすい環境を人工的に作り出す可能性があるのです。ピロリ菌感染者、あるいは除菌後の患者における PPI(プロトンポンプ阻害薬)長期使用と胃がんリスク上昇の関連 は、すでに信頼性の高い疫学研究で報告されています。
—
ピロリ菌感染は胃がんリスクの主要因
ピロリ菌感染が胃がんの最大の危険因子であることは、世界保健機関(WHO)でも「確定的」とされています(IARC Monographs, 2012)4。慢性的な炎症が持続することで、胃粘膜が萎縮し、やがて腸上皮化生から発がんへと進展するメカニズムが明らかになっています(Correa, Cancer Res, 1992)5。したがって、PPIによって胃酸が長期間抑えられた状態が続くと、たとえピロリ菌未感染者であっても新規感染のリスク上昇、あるいは除菌後の再感染や炎症持続のリスクを理論的には否定できません。
実際、いくつかのコホート研究では、長期PPI使用と胃がんリスク上昇の関連が報告されています(Cheung et al., Gut, 2018)6。ただし、因果関係は未確定であり、今後も長期的な検証が必要です。
—
「リスクを示すエビデンスがない=リスクがない」ではない
マスコミ情報やウェブ情報で言われているように現在のところは、ピロリ菌未感染者におけるPPI長期使用と胃がんリスク上昇の明確なエビデンスは得られていません(Sung et al., Gut, 2020)1。しかし、ここで重要なのは、「関連が示されていない=安全」ではないということです。観察期間が短い研究や、除菌歴・感染状況が統一されていない集団を対象とした研究では、真のリスクを見逃す可能性があります(Cheung & Leung, Gastroenterology, 2022)2。
薬剤の慢性使用においては、短期的な安全性だけでなく、理論的な長期リスクを慎重に評価する姿勢が求められます。「あることが証明されていない=存在しない」と短絡的に結論づけるのは危険です。繰り返しになりますが、結果だけの最新のエビデンスほどあてにならないものはありません。そのエビデンスが将来にわたって覆えらないものかどうかについては、理論的な裏付けと合致するかどうかを慎重に見極める必要があります。
—
逆流性食道炎の原因は「酸」ではなく「圧力」
逆流性食道炎は「胃酸が強いから起こる」わけではありません。実際の原因は、胃酸の過剰分泌よりも胃内圧の上昇と下部食道括約筋(LES)の機能低下です(Kahrilas, N Engl J Med, 2020)7。
胃内圧を上げる要因としては、
- 過食
- 内臓脂肪の増加(腹腔内圧上昇)
- 食後すぐに横になる習慣
- アルコールや脂肪分の多い食事
が挙げられます。
したがって、根本的な治療は食事と生活習慣の改善であり、胃酸分泌そのものを抑えることではありません。PPIはあくまで「症状を抑える」薬であって、「原因を治す」薬ではないのです。
—
PPIの慢性使用がもたらす潜在的なリスク
PPIの長期使用は、胃酸抑制以外にもさまざまな生理的変化をもたらします。
報告されている影響には以下のようなものがあります(Forgacs & Loganayagam, BMJ, 2008)8:
- ビタミンB12、鉄、マグネシウム吸収の低下
- 腸内細菌叢の変化による小腸内細菌増殖症(SIBO)の増加
- 腸管感染症(Clostridioides difficile)のリスク上昇
- 骨折リスクの増大(カルシウム吸収低下を介して)
これらはいずれも短期間の使用では問題になりにくいものの、数年単位での継続により臨床的影響が現れる可能性があります。慢性疾患のように漫然と服用し続けることは避けるべきです。
—
本当の治療は「胃酸を減らすこと」ではない
逆流性食道炎の再発を防ぐためには、以下の生活習慣の見直しが効果的とされています(日本消化器病学会ガイドライン, 2021)9:
- 食事量を控えめにし、腹圧を上げない
- 食後3時間は横にならない
- 内臓脂肪を減らす(体重コントロール)
- アルコール・高脂肪食を控える
- 締め付ける服を避ける
これらの対策は、薬に頼らずとも逆流を減らし、再発を防ぐ根本治療につながります。PPIはあくまで補助的・短期的な役割にとどめるのが理想です。
—
まとめ:PPIの「便利さ」の裏にある盲点
PPIは非常に優れた薬であり、消化性潰瘍や出血性病変など、明確な適応では生命を救うこともあります。しかし、「症状が楽だから」「医師に言われたから」といった理由で長期間使用を続けることは、将来的な感染リスクや発がんリスクの増大につながる可能性を否定できません。科学的根拠が十分でなくても、理論的なリスクが存在する場合は、慎重な姿勢が求められます。
「リスクを示すエビデンスがない=安全」ではないことを認識すべきです。
胃酸の生理的意義とピロリ菌の特性を理解し、原因にアプローチする本来の治療を心がけることが、真に健康を守る第一歩です。
—
【参考文献】
- Sung JJ et al. Gut. 2020;69(7):1163–1171.
- Cheung KS, Leung WK. Gastroenterology. 2022;162(5):1305–1317.
- Kusters JG, van Vliet AH, Kuipers EJ. Clin Microbiol Rev. 2006;19(3):449–490.
- IARC Working Group. IARC Monographs on Biological Agents, Vol. 100B. WHO, 2012.
- Correa P. Cancer Res. 1992;52(24):6735–6740.
- Cheung KS et al. Gut. 2018;67(1):28–35.
- Kahrilas PJ. N Engl J Med. 2020;382(12):1156–1166.
- Forgacs I, Loganayagam A. BMJ. 2008;336(7634):2–3.
- 日本消化器病学会. 「GERD(胃食道逆流症)診療ガイドライン2021」.
















ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません