がんの「悪性度×頻度」で考える早期発見戦略——PETを起点に設計するという発想

カテゴリ:がん検診・スクリーニング / 証拠に基づく医療

「がん検診はとにかく項目を増やせば安心」——そう考えている人は少なくないと思います。腫瘍マーカーを片っ端から測り、造影CTもMRIも超音波も全部受け、最近では血液一滴でがんがわかるという触れ込みの検査まで追加する。しかしこれは合理的な設計とは言えません。医師として検診のプログラムを考えるとき、実際に頭の中にあるのは「すべてのがんを平等に探す」という発想ではなく、悪性度と頻度という2つの軸で優先順位をつけ、限られた時間とコストをどこに配分するかという設計問題です。

本稿では、この設計思想を3つの論点に整理してお伝えします。

論点1:頻度が低く、悪性度も低いがんは「あきらめる」

がん検診を設計する際にまず行うべきは、対象となるがん種を「悪性度」と「頻度」の2軸でマッピングすることです。悪性度が高く頻度も高いもの(肺がん、大腸がんなど)は当然最優先になりますが、逆に悪性度が低く、かつ頻度も低いがんについては、意図的に「深追いしない」という判断が必要です。

これは怠慢ではありません。むしろ公衆衛生学における教科書的な原則です。1968年にWHOが示した「Wilson-Jungnerの基準」は、ある疾患をスクリーニング対象とすべきかどうかを判断するための古典的な基準ですが、その筆頭に挙げられているのが「対象疾患が重要な健康課題であること」という条件です。頻度が極めて低く、なおかつ進行が緩徐で臨床的な影響も小さい病変は、この基準を満たしません。

このロジックは、実際の臨床現場ですでに実践されています。たとえば日本の隈病院やがん研有明病院が世界に先駆けて確立した微小乳頭癌(1cm以下の甲状腺乳頭癌)に対する「積極的経過観察」は、その代表例です。悪性度の低い微小な甲状腺乳頭癌の大部分は、何年観察しても進行しないか、進行してもごくわずかであることが長期の観察研究で示されており、見つけた瞬間に手術するのではなく、経過を見るという選択肢が国際的にも認められるようになりました。「悪性度が低いなら、無理に早期発見・即介入をしなくてもよい」という発想が、すでに臨床標準の一部になっているわけです。

同じ理屈は、副腎の偶発腫や小さな腎嚢胞、小型の肺結節といった「検診で偶然見つかる所見」の扱いにも当てはまります(この点は以前の記事「がん検診で偶然見つかる画像所見とは?」でも触れました)。頻度が低く、性質も大人しいと分かっている病変を、わざわざ高コスト・高侵襲な検査で執拗に追いかける必要はありません。検診設計の最初の一歩は、「何を検査に加えるか」ではなく「何を追いかけないと決めるか」なのです。

論点2:PETを起点に据え、足りない部分だけを個別に補う

「あきらめる」対象を除外したうえで、残る大多数のがんに対してどう網羅性を確保するか。ここで軸になるのが全身FDG-PET/CTです。PET/CTは肺がん、大腸がん、食道がん、膵がん、悪性リンパ腫など、悪性度・頻度ともに高いがんの多くを一度の検査で横断的にカバーできる、検診設計上の「アンカー(土台)」となる検査です。

ただしPETには構造的な弱点があります。大きく2つのメカニズムに整理できます。

①生理的集積による死角:脳は正常な状態でも糖代謝が非常に高いため、脳腫瘍のFDG集積が背景に埋もれて見えにくい。膀胱は排泄されたFDGが尿中に貯留するため、骨盤内(尿管や膀胱壁)の評価が原理的に不得手になります。

②分化度による集積不良:甲状腺乳頭癌に代表されるように、分化度の高い(=比較的おとなしい性質の)がんはFDGを取り込みにくいことが知られています。これは「flip-flop現象」と呼ばれ、1996年の研究報告ですでに報告されている古典的な知見です(分化型なら放射性ヨードに集積し、脱分化が進むほどFDGに集積が移る、という逆相関のパターン)。腎細胞癌や高分化型肝細胞癌、高分化型の肺腺癌なども同様の理由でFDG集積に乏しいことが、日本核医学会PET核医学分科会の「FDG-PETがん検診ガイドライン第3版」(2019)にも明記されています。

ここで重要なのは、「PETで見えないなら何でもいいから別の検査を足す」のではなく、見えない理由をメカニズムから特定し、そのがん種に的を絞ったモダリティだけをピンポイントで追加するという発想です。甲状腺なら頸部超音波、腎臓なら腹部の断面画像、脳腫瘍なら専用の頭部MRIといった具合に、PETの死角と一対一で対応する検査を選びます。実際、同ガイドラインが引用する全国調査では、甲状腺癌の検出感度はPET単独で90.7%にとどまるのに対し、超音波を併用すると98.8%まで向上することが示されています。全身くまなく検査項目を積み増すのではなく、「PET+死角を埋める最小限の追加検査」という設計のほうが、コストと精度のバランスに優れているのです。

論点3:「体には常にがん細胞がある」という前提とリキッドバイオプシーの限界

以前の記事「血液一滴でがんがわかる」は本当か?で詳しく検証した通り、健康な人の体内でも1日に約5,000個のがん細胞が生まれては免疫系に排除されていると考えられています。つまり「体の中にがん細胞が全くない瞬間」というものは、健康な成人であってもほぼ存在しないというのが腫瘍免疫学の基本認識です。

この前提に立つと、リキッドバイオプシーが掲げる「がんの有無を血液で予測する」という発想そのものに無理があることが見えてきます。ミリ以下の、免疫が制御下に置いている微小ながん細胞の存在を検出したところで、それは臨床的に意味のある「がん」を見つけたことにはなりません。本当に知りたいのは「がん細胞が存在するかどうか」ではなく、「臨床的に意味のある大きさまで育ったがんが存在するかどうか」のはずです。

そしてこの問いに直接答えられるのが、まさにPETをはじめとする画像診断です。PETは代謝活性のある、ある程度以上のサイズの病変を物理的に可視化する検査であり、「臨床的に意味のある閾値」を最初から検査原理に組み込んでいます。一方でリキッドバイオプシーは、その閾値を経由せず、常在する微小な変異シグナルまで拾ってしまう構造的なリスクを抱えており、しかも陽性が出ても結局は画像検査による確認が必要になる「二段階検査」にしかなりません。

論点2で述べた「PETを起点に、死角だけを個別に埋める」という設計がすでに機能しているのであれば、そこに確率論的な血液検査を先頭に割り込ませる合理性は乏しいというのが私の考えです。リキッドバイオプシーには既知のがん患者の治療効果モニタリングや再発サーベイランスといった、本来輝ける別の役割があります。無症状の集団に対する一次スクリーニングという役割を任せるには、まだ理論的にも実証的にも無理があると言わざるを得ません。

まとめ:あきらめる、起点を決める、寄り道しない

3つの論点は、実は1つの設計思想でつながっています。頻度も悪性度も低いがんは追いかけない。残ったがんの大半をカバーできるPETを起点に据える。PETの死角はメカニズムを特定したうえで、対応する検査だけをピンポイントで補う。そして「がんがあるかもしれない」という確率を推定する寄り道の検査は挟まず、最初から「見えるかどうか」を直接問う。

がん検診にまつわる不安は、多くの場合「何か見落としているのではないか」という漠然とした恐怖から生まれます。しかしその不安に応えるべきは検査項目の数ではなく、設計の一貫性です。何を捨て、何を土台にし、何を個別に足すか——その順番を決めることこそが、遠回りに見えて実は一番合理的な早期発見戦略なのだと思います。

参考文献

  1. Wilson JMG, Jungner G. Principles and practice of screening for disease. WHO, 1968.
  2. Ito Y, Miyauchi A, et al. Papillary thyroid microcarcinoma: active surveillance as an alternative to immediate surgery. Kuma Hospital / がん研有明病院の長期観察研究.
  3. 18FDG whole-body PET in differentiated thyroid carcinoma. Flip-flop in uptake patterns of 18FDG and 131I. J Nucl Med. 1996(PMID: 7675641)
  4. 日本核医学会 PET核医学分科会編「FDG-PETがん検診ガイドライン第3版」2019
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