インフルエンザの検査と治療の誤解——免疫の仕組みから考える実践的戦略

はじめに

冬が近づくと、街のクリニックや救急外来にはインフルエンザを疑う患者が殺到します。高熱、倦怠感、関節痛。数分で結果が出る迅速検査キットが普及した今、「陽性ならインフル」「陰性なら違う」と考える人が増えています。しかし、医療現場に身を置く者として実感するのは、臨床診断の放棄検査結果への過剰依存が進んでいる現実です。

本来、診断は「症状・経過・所見・検査」を総合して専門家である医師が行うべきものです。ところが、近年は医師も患者も「検査の数字」だけを見て判断する傾向に陥っています。本稿では、インフルエンザの感染メカニズムから、迅速検査の限界、治療薬の考え方までを免疫学的視点から整理します。

感染の成立とは何か——「陽性=感染」ではない

インフルエンザの診断で最も誤解されているのが、「ウイルスが検出された=感染した」という誤った前提です。私たちの鼻や喉の粘膜には、日常的にさまざまなウイルスが付着しています。しかし、ウイルスが存在しても感染が成立していない場合がほとんどです。

粘膜上ではIgA抗体が先頭に立ってウイルスを攻撃し、ヒスタミンなどの化学物質を放出して炎症反応を起こします。鼻水やくしゃみは、ウイルスを体外に排出するための防御反応です【Brandtzaeg, 2013】。この防御が機能していれば、ウイルスは気道に侵入できず感染は成立しません。ところが、睡眠不足やストレス、加齢、慢性疾患などで免疫力が低下している場合には、ウイルスが粘膜防御を突破して気道上皮で増殖し、初めて感染が成立します。

検査偏重医療の問題点——臨床診断を放棄した現場

インフルエンザ迅速抗原検査(immunochromatography)は、かつてに比べて高感度化し、数分で結果が出るようになりました【Sakai-Tagawa, 2020】。迅速キットの感度が上がったことで、感染が成立する前の“粘膜付着”段階でも陽性反応が出るようになりました。症状が軽いのに陽性と判定され、「今年のインフルエンザは症状が軽い」と報じられるのもその一例です。インフルエンザ大流行とマスコミが大騒ぎする理由もここにあります。しかし、このような検査にによる陽性反応は、、実際には感染ではなくウイルス暴露の検出にすぎません。

確かに便利なツールですが、本来の診断手順を置き換えるものではありません。医師が行うべきは、症状・発熱パターン・検査結果を総合的に評価して感染の成立を判断する診断です。医師が問診や経過観察を怠り、検査結果だけで診断・治療を決めるのは、臨床判断力の放棄にほかなりません。しかし現実には、外来で「検査して陽性ならタミフルを出す」「陰性なら帰宅」といった形式的診療が横行しています。

マスコミ報道やSNS上の「早めの検査・早めのタミフル」という単純なメッセージが、患者側にも「検査を受けて薬をもらうこと=正しい医療」という誤解を植え付けています。医療はサービスではありません。科学と倫理に基づいた判断があって初めて成立します。しかし、マスコミが恐怖を煽り、SNSが不安を増幅させることで、診断と治療が“消費”される時代になってしまいました。

こうした構造の背景には、「短時間で多くの患者をさばく診療報酬制度」と、「検査結果を求める社会風潮」の双方があります。結果として、医師と患者の双方が“検査依存症”に陥っているのが日本の現実です。

検査の本質を見誤ると治療を誤る

検査キットの結果だけで治療を求めることは、過剰投薬や副作用リスクを高めることにつながります。タミフルやゾフルーザなどの抗ウイルス薬は、ウイルスの増殖を抑える一方、血液脳関門を通過できないため、脳内に侵入したウイルスには無効です。厚生労働省が一時期推奨したような「一律の抗ウイルス薬投与」は、過去にタミフル関連の異常行動・脳症を増加させた可能性が指摘されていますが、この仕組みを理解していれば理論的には不思議ではありません。

「ウイルスを検出したから薬を飲む」という単純な発想ではなく、「感染が成立しているか」「免疫が十分に働いているか」を見極めることが重要です。このような検査の誤用は医療費の増大だけでなく、薬剤耐性ウイルス出現や副作用リスクの増加につながる恐れがあります。実際のところ、健康な成人では自然免疫が機能しているため、薬を使用しても治癒期間は大きく変わらないとする報告もあります【Jefferson, 2014】。もちろん、高齢者や免疫抑制状態の患者など、重症化リスクが高い人には抗ウイルス薬の早期投与が有効です【Uyeki, 2019】。重要なのは、「誰に必要か」を見極める医師の判断であり、「検査結果に基づいて全員一律に処方」ではないのです。

発熱の意味——体は自らの力でウイルスを抑える

インフルエンザウイルスは熱と湿気に弱い性質を持ち、40℃近い体温環境では複製能が低下します【Schaffer, 1976】。したがって、発熱は「病気のサイン」ではなく、ウイルスを排除するための生理的戦略です。免疫細胞の活動は体温上昇により活性化し、T細胞や好中球の動員が促進されます【Evans, 2015】。

それにもかかわらず、臨床現場では「熱を下げないと患者が不安がる」という理由や患者から解熱剤を強く要求され、社会的圧力からそれに応じる構図が常態化しています。こうした“薬を出さないと怒られる医療”が、いかに不健全かは明らかです。発熱は、体がウイルスに勝つために必要な戦闘モードです。症状を「抑える」ことが、必ずしも「治す」ことではないのです。

まとめ——マスコミとSNSの影響——“不安商法”が医療を歪める

近年、テレビ報道やSNSでは「インフルエンザ大流行」「早めの受診・早めの薬」といったメッセージが繰り返されています。これが「薬をもらうまで安心できない」という集団心理を生み、患者が医師にキットによる検査や治療を“要求”する風潮を強めています。

しかし、インフルエンザ対策の本質は、「薬物によって症状を抑えること」ではなく、「ウイルスと対峙できる体を保つこと」です。検査や薬はあくまで補助。主役は自分自身の免疫でありそれを見極めるのが医師の診断力です。医師が診断を放棄し、患者が薬を要求する医療は、どちらも本来の姿ではありません。科学的思考と冷静な判断を取り戻すこと——それこそが、流行の季節に最も必要な「予防」なのです。

参考文献

  1. Brandtzaeg P. Secretory IgA: Designed for Anti-Microbial Defense. Front Immunol. 2013;4:222.
  2. Sakai-Tagawa Y, et al. Evaluation of rapid antigen detection tests for influenza in Japan. J Clin Virol. 2020;127:104375.
  3. Schaffer FL et al. Thermal inactivation of influenza virus. J Virol. 1976;17(3):736–744.
  4. Evans SS et al. Fever and the thermal regulation of immunity. Nat Rev Immunol. 2015;15(6):335–349.
  5. Jefferson T et al. Neuraminidase inhibitors for influenza. Cochrane Database Syst Rev. 2014;(4):CD008965.
  6. Uyeki TM et al. IDSA Guidelines: Influenza 2018 Update. Clin Infect Dis. 2019;68(6):e1–e47.